その猫とは近所の路地裏で出逢った。
まるでずっと一緒に居たかのように振る舞うの猫だった。
少し撫でてから野草の穂でジャレ遊び、“またね”とお別れを言い残し、背を向けて歩き出してからしばし、小さな鈴の音が街灯影をかすめるのに気づきました。
彼は暴風時の隣り合う枝のように、時に遠ざかり、時にぶつかりを繰り返しながらそのままアパートの戸口までついて来てしまいました。
この時そんな彼を愛おしく思ったのですが、同時にそう思わせるのが彼の活きる術であることを感じ、少し切なくもなりました。
人を忌み嫌いゴミ箱を漁る生粋の野良もいれば、人に取り入り愛想で網をかける猫もいる、それに向かう人の構えもまたそれぞれなのです。
にゃんこ先生、御寛ぎの様子 当初首輪をしていたので所謂「外猫さん」かと思いご飯は控えて“お家へお帰りよ”と帰宅を促したのですが、それから数日間毎晩のように部屋の戸口に座り込んでいました。
私の帰宅が深夜になって“流石に今日は・・・”と想いを馳せている間にも彼はじっとそこに座っているのです。
そして私の姿を見るなり何ごとも無かったかの様にすくっと立ち上がり身体を擦り寄せ鳴き声をあげます。
路地裏での出逢いと同様、まるでずっと一緒に居たかのように振る舞う姿に変わりはありません。
そんな彼の様子を日々意識的に眺めていると、その素行は明らかに「外猫さん」と呼べるに至らず、
結局「迷子猫さん」として預かることにしました。しばらくは二人三脚でいろいろな事を学ばなければなりません。
何故なら私は猫と共に暮らした経験が全く無いのです。
預かるにあたって匿名では共修の糸口すらも憚(はばか)られる為、臀部(でんぶ)を振って歩く姿から「肛門ちゃん」と仮の名を冠することにしました。
にゃんこ先生、御寛ぎの様子一夜明け翌日の昼過ぎ、猫用シャンプーやトイレ用品などを揃える為、路地を往来する人々に可愛がられる肛門ちゃんを居残し、私は動物用品店に向いました。
早速店員教示の基、必要なものをカゴに入れながら店内をウロウロしていると、奥まった所に何やら賑やかなスペースが設けられているのに気づきました。
近寄ってみるとそこは動物用品店に在るべき場面となったショーケースと、そこに“陳列”された仔犬仔猫達の姿がありました。
品種や血統にはじまり、性格、好物、去勢状態などさまざまな付加価値が挙げられ、銘標もなく商品化されてゆく彼らを私は凝視することが出来ませんでした。
これが人なら大問題となろうものでしょうが、それが商いの名の下に秩序として取り込まれた時から精査的差別志向はより根深くなり
偽善面した人々は○○の一つ覚えのごとく「動物も同じ命です。責任を持って飼いましょう。」と標を掲げ、
生命の平等を訴えます。店員しかり客しかり、ここにジキルとハイドが隠れていようとは微塵も考えていないのでしょうか。
親で在れば大抵「動物を愛するやさしい子に育って欲しい」と思うものかもしれませんが、
こういった現場を大いなるプレイランドとして勘違いし、そこに愛する我が子を引き込まんとする意識が末代まで世襲されて行く現実は末恐ろしい事態であり、
この事態を人に置き換えてみれば、最近に至りインドや中国などのアジア諸国で奴隷売買、人身売買が「養子」と名を変え続けられている事実が黙認されている事実に対し、避難を浴びせる権利はすでに無いはずです。
また、人の都合による異種交配も然りで、このDNA操作まがいの行為が平然と行われていること、こういった事柄こそが崇高なる矛盾の結果であると思うのです。
この現場を騒がしい我が子の「パンと見せ物」状態で抑する。
つらつらと御託を並べましたが要するに
「そんなところで買うより、野良犬、野良猫を預かって下さい。それが生産的な日常のあるべき姿であり、それが隣り合わせの生命を疎うことです。」
と云いたいだけです。