三連休初日、徹夜明けの早朝、井の頭公園にて堀辰雄の「菜穂子」を一頻り読み終えた。
この作品は昭和16年(1941年)の二次対戦最中に発表された作品。
本来気入れするのであれば、都筑明(つづきあきら)や菜穂子の旦那、圭介であろうが何故か菜穂子の素行が自分と妙にダブる・・・・・何故だろう。
尤も女性的男性的と云うある種の二元的見方があるとすれば、私は女性的と言わざるを得ない。
その定義の差異は個々人で大く変わると思うが、自分の中の定義、その像から照らしてみると明らかに「女性的」なのである。詳細はここでは触れないが。
ここで一端帰宅し、窓から差し込む日照りを背に就寝。
吉岡実『“死児”という絵』起床後、晩飯がてら外出するついでに神田川最上流のベンチに腰掛け、吉岡実『“死児”という絵』を読み始めた。77年から79年まで「新潮」「群像」「文学界」などに掲載された随筆をまとめたものだ。この随筆を読む限り、無責任人生を地で行く私にとってはこの吉岡さんの夫婦関係は理想的に映る。この夫婦関係は素敵だな、と素直に感じてしまうのだ。
その後、公園を半周し、駅方面に足を伸はした先でカレーを食べ、服を買い、日用品も買い、帰宅。